小説家 石野 晶
岩手県出身、岩手県在住。
四葉を見つけるのが得意。
2007年に『パークチルドレン』で第8回小学館文庫小説賞を受賞し小説家デビュー。
2010年には『月のさなぎ』で、第22回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。
徳間文庫より新刊『水光舎四季』発売しました。是非、手にとってみてください。

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ミモザ日誌 2話

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これはネゴノキ村に巡回士としてやってきた私の記録誌です。


 

ネゴノキ村の中心には円形の広場があり、その真ん中に大きなモミの木が立っています。

私が住むことになった家はその広場を南に少し歩いたところにありました。一階建ての、私一人で住むにはちょうどいい大きさの家です。三角の屋根は赤く塗られて、子供が積み木で作ったようなかわいらしさでした。

家の周りには広い庭があり、前の住人が植えたものなのか自然に生えたものなのか、デイジーとスミレとが筆から垂れた絵の具のように茶色い地面に花を開いています。

庭を囲む生垣の横にはお隣の畑と建物とがあります。あいさつに行くのは後回しにして、預かっていた鍵でドアを開けて家の中へ入りました。

キッチンと居間と、小さな部屋が一つ。それだけのシンプルな作りです。キッチンの奥に階段を見つけました。どうやら屋根裏部屋があるようです。

ぎいぎいと音を立てる階段を上りきると、意外と広い空間が広がっていました。前に住んでいた人が置いていったのか、小さなベッドが隅に置いてあります。ここを寝室にすることに決めました。

日に焼けたカーテンを開けると格子のはまった両開きの窓がありました。入りこんだ光に宙に舞うほこりが浮かび上がり、金色の粒子の一つ一つが数えられそうです。

窓を開けるときれいな風がほこりをさらっていきました。広場の大きなモミの木が真正面にすっくとそびえています。いい眺め、と下に目を向けて、私は首を傾げました。

すべり台です。窓の下にどういうわけか、木製のすべり台があります。壁から生えたすべり台は途中で緩やかにカーブしながら、地面まで続いています。すべる部分の表面には金属の板が張られ、どこからどう見ても公園にあるすべり台そのものです。

火事の時の避難用のものでしょうか。それとも前の住人に小さな子供でもいたのでしょうか。

考えていても仕方ないので、窓を乗り越えてとりあえずすべってみることにしました。すべり台なんて何年ぶりでしょう。結構な高さなので次第にスピードがついてきます。風に髪があおられて広がっていきます。

周りの景色が流れていき、ふっとその景色の中に見覚えのある姿を見かけました。茶色の髪を小さな三つ編みにして、シロツメクサでせっせと花の冠を作っています。幼稚園のころ仲良しだったユンちゃんです。

「ユンちゃん!」

思わず叫ぶと、ユンちゃんは私に作りかけの冠を振って見せました。やっぱりユンちゃんです。引っ越しでさよならをした時、泣きながら手を振っていたユンちゃんのままです。

ユンちゃんに向かって手を伸ばすと、ユンちゃんの姿は遠ざかっていきました。またねというように、手を振っています。

すべり台のカーブで体がくるりと向きを変え、その瞬間にユンちゃんの姿は見えなくなっていました。その代わりのようにすべり台の下に誰かが立っているのが見えます。髪をおだんごにまとめてエプロンをつけた女の人です。もしかしたらお隣さんかもしれません。

スカートのままですべっていたことを今さら思い出して、慌てて裾を押さえました。地面についたらあいさつしようと笑顔を作ってすべっていくと、すべり台の終わりのあたりでふっとお隣さんの姿が消えました。

あら、どうしたんだろうと、キョロキョロすると、私がいるのは屋根裏部屋です。すべり台のある窓の前に立ち尽くしています。窓から見下ろしてみると、すべり台の脇にさっきの女の人がいて私に向かって叫びました。

「階段で下りてきてくれるかい」

言われたとおりに階段を下りると、彼女は玄関ドアを開けて待っていました。

「私は隣のものだけど、あんたが新しく来た人かい」

「はい。ミモザです。巡回士です。よろしくお願いします」

「私はおかみだよ。旦那と二人暮しだ。野菜とタマゴは分けてやれるよ」

「おかみさんとお呼びしていいのですか」

「そうだよ、それが名前なんだから」

「ところであのすべり台なんですけど、どうして上に戻ってしまったんでしょう?」

「そりゃ、メビウスのすべり台だからねえ」

「メビウス、ですか」

「メビウスの輪とおんなじ仕組みなんだろうよ。いつの間にか、元の場所に戻ってる」

「どうして、そんなものがあるんですか?」

「どうしてって、別に意味なんてないんだろうよ。あるからあるんだ」

「でも、あの、懐かしい人が見えたんですけど」

それまで何だか怒っているように見えたおかみさんの顔が、その瞬間に優しくなりました。決して笑っているようには見えないのに、それが笑顔なのだとわかりました。

「そういうことは、自分の胸にだけしまっておくものだよ」

「おかみさんも、すべったことがあるんですか?」

おかみさんは何も答えずに、「じゃあね」と帰っていってしまいました。きっとすべったことがあるのでしょう。

 

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