ミモザ日誌 8話
これはネゴノキ村に巡回士としてやってきた私の記録誌です。
ネゴノキ村の東のはずれに、一軒の小さな古着屋さんがあります。お店の庭には通りかかるたびいつも洗濯物が干されて、ハタハタと風になびいています。
そのお店の前を通りかかったら、ショーウインドウの服に一目ぼれしてしまいました。緑色のチェックのワンピースで、ふわりと膨らんだ袖や襟に黄色のリボンが結ばれています。
お店に入ると、おばあさんが一人カウンターの隅で本を読んでいました。
「あの、表に飾ってある緑の服が着てみたいんですけど」
声をかけるとおばあさんは本から目を上げ、メガネを直しながら品物に値段をつけるような目つきで私を眺めました。
「あんたが、あの服をかい? ふうん。そうだねえ。じゃあ今日一日試着してみるといい。気に入ったら、明日お代をもらうから」
すっかり買うつもりでいたのに、一日試着という話に、私は首をかしげました。それでもそれがこのお店のやりかたなのかしらと思って、服を抱えて家に帰ると、早速着てみました。
ワンピースのサイズはぴったりでした。木綿の素材で着心地もよく、たっぷりとしたスカートの襞に心も弾んできます。
お茶をいれようと台所に行くと、手が勝手に動いて冷蔵庫を開けました。あら、どうしたのかしらと思っているうちに、冷蔵庫の中身をどんどん出して、体が勝手に動き料理を始めます。
タマネギがすごい速さでみじん切りになり、ニンジンとジャガイモがあっという間に皮をむかれ、鍋やフライパンの中で調理されていきます。その間私の体は信じられない速さで動いていました。
気がついた時にはテーブルいっぱいに、ハンバーグにパスタ、ポトフにサラダが並んでいました。こんなにたくさん一人じゃ食べきれないと思っていると、また体が勝手に動き出します。卵を取り出しベーコンを切り、オムレツを焼き始めます。その間にもう片方の手が小麦粉をふるって卵を泡立て、オーブンでケーキを焼き始めます。
夕方になるころには、冷蔵庫の中身もお隣さんからもらっていた卵や野菜もきれいになくなり、テーブルにも調理台にも料理の皿がぎっしり並んでいました。私一人ではとても食べ切れません。お隣さんや翼男さんやご近所中に声をかけて、ちょっとしたパーティになりました。
翌日洋服を持って古着屋さんを尋ねました。
「どうだったい?」
おばあさんは服と私を見比べて聞きます。
「これを着たら体が勝手に動いて、昨日はずっと料理をしてたんです。もうへとへとですよ」
「前の持ち主が料理好きだったからね。どうだい。買うかい?」
とんでもないですと、私は服を返しました。するとおばあさんは、店の奥から違う服を持ってきます。
「あんたには、こっちのほうがいいかもね。それも一日試着してごらんよ」
ベージュ色のワンピースで、一面にコスモスの花がプリントされています。早速家に帰って着てみると、体を動かすたびにコスモスの模様が風にそよぐように揺れてきれいです。
階段を下りていくと、自然と口から歌がこぼれ出しました。こんな歌知らないのにと思っていても、歌は止まりません。巡回に出かけても、食事をしていても、口が勝手に歌い続けてどうしようもありません。
夜になるころには、喉がガラガラになっていました。それでもまだ、口が歌おうとします。これもきっと服のせいだと思い、脱いでしまったらやっと歌も止まりました。
翌日また、服を返しに古着屋さんに行きました。
「この服の持ち主は、歌が好きだったんですか?」
「そうだよ。歌の先生で、四六時中歌ってばかりいる人だ。どうだい。買うかい?」
ごめんなさいと首を振り、聞いてみました。
「普通の服はないんでしょうか?」
「古着っていうのは、人柄が染みついてるもんだからね。どれだけ洗濯したって、落ちないもんだよ」
そのうち、また、と私は店を出ました。そしてふと思いました。私の古着を売りに出したら、着た人は絵ばかり描くのかしら?
コメントがありません。