ミモザ日誌 11話
これはネゴノキ村に巡回士としてやってきた私の記録誌です。
ここのところ雨の日が続いています。村にはあちこちに水たまりができて、雨の模様を浮かべています。
久しぶりに晴れた日、午後の巡回に出かけると、翼男さんとタマゴちゃんに会いました。いつも翼男さんの背中にくっついているタマゴちゃんは、今日は自分の足で歩いています。
翼男さんの背中には、釣りざおが何本か羽にはさまれていました。
「魚釣りに行くんですか?」
「ああ、釣るのは魚じゃないけど。ミモザさんも一緒にどう?」
何を釣るのか気になって、一緒に行くことにしました。翼男さんは畑の広がる一帯へと歩いていくと、道の脇にある水たまりのそばでしゃがみこみました。
「これ、池じゃなくて、水たまりですよね。何かいるんですか?」
「いいから、糸をたらしてみなよ」
翼男さんに釣りざおを渡されて、エサもつけずに水たまりにたらしてみました。水たまりは思ったよりも深く、おもりのついた針がどんどん沈んでいきます。
しばらくじっと待っていると、翼男さんの針に、何かがかかりました。さおを上げると、針にかかっていたのは、ブリキでできたおもちゃでした。
「どこかの子供が、落としたものかしら?」
「いや。これは僕が子供のころ遊んでいたものだよ。ほら、タマゴも引いてる」
タマゴちゃんの持っていたさおを、翼男さんも一緒に上げます。針にかかっていたのは、赤い石のきれいなブローチでした。
「タマゴは、ずいぶん昔のものを釣り上げたみたいだな」
その間に私の針にも何かがかかったらしく、糸が引っ張られました。ぐんぐんと水の中に引かれるさおを、力をこめて引き上げます。針にかかっていたのは、赤いドレスを着た金色の髪のお人形でした。
「マリーちゃん!」
それは、私が子供のころ大事にしていたお人形でした。寝る時も一緒だった、マリーちゃんです。あんなに大事にしていたのに、大きくなるにつれて遊ばなくなり、どこへしまったかも忘れてしまったお人形でした。
「この水たまりは、何なんですか?」
「思い出が釣れるところだよ。雨の時期にしかできないんだ」
「タマゴちゃんが釣ったのも、思い出の品ですか?」
「たぶん、こいつが生まれる前の、思い出だろうね」
話しているうちに、また私の針に何かがかかったようでした。上げてみると、緑色のゴムボールがかかっていました。押すとピューと音がするボールです。
これは何だったかしらと、考えこんでしまいました。頭のすみに何かが引っ掛かっているのに、なかなか思い出せません。
たらした糸が、ぐいっと力強く引きました。片手でさおを持ち、ボールをもう片手で持って考えこんでいた私は、糸に引っ張られて体制を崩し、水たまりに落ちてしまいました。
バシャンと音がして、気がつくと水の中でした。水たまりのはずなのに、足がつかずに体はどんどん沈んでいきます。
足の下を見ると、白いもこもことした何かがいました。舌をたらして尻尾をふる、大きな犬です。
『ペルちゃん!』
やっと思い出しました。あのボールは、ペルちゃんのお気に入りのおもちゃでした。小さなころお隣の家で飼っていたのが、ペルちゃんです。このボールを使って毎日遊んでいたのに、今まですっかり忘れていました。
『ごめんね、ペルちゃん、すぐ思い出せなくて』
水の中の言葉は、泡になって消えていくだけですが、ペルちゃんは尻尾を振っています。昔と同じ、ボールを待ち構えている顔です。私は手の中のボールを、勢いよく投げました。口でそれをキャッチして、ペルちゃんはうれしそうに尻尾を振ります。
背中に何かが引っ掛かり、私の体は勢いよく引っ張り上げられました。ペルちゃんが、どんどん遠ざかっていきます。
バシャッと、水の上に顔が出ました。慌てて息を吸いこみます。私の背中に引っ掛かっていたのは、翼男さんの釣りざおの針でした。翼男さんもタマゴちゃんも、笑っています。
「ミモザさんを釣り上げちゃったな。思い出になるには、まだ早いよ」
笑い事じゃありませんと、私はふくれてみせました。
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