ミモザ日誌 1話
「ネゴノキ村に行ってみる気はありませんか?」
仕事先の事務長さんに言われて、私は首を傾げました。
「ネゴノキ村なら、先日旅行してきたばかりですが」
「そう、だから頼みたいのです。ネゴノキ村の巡回士を」
どうやらこれは、仕事の話らしいと私は理解しました。
「巡回士というのは、村を見回って平安を保つ仕事でしょうか?」
「いえ、別に平安を保つ必要はありません。村には交番もあり巡査もいますから。あなたには村に住み、毎日村を巡回して、記録誌をつけていただきたいのです。それが巡回士の仕事です」
「それだけでいいんですか?」
「はい。その他の時間は好きなことをして構いませんよ」
私は趣味で絵を描いていて、先日ネゴノキ村へ行ったのも、スケッチをしながら行き当たりばったりに旅をしていて、偶然行き着いたからなのでした。
毎日村を歩き回って日誌を書くだけなら、絵を描くことに時間を費やせるでしょう。願ってもない仕事でした。
「でも、どうして私なのでしょう?」
「あなたは、あの村に一週間滞在しましたよね」
「はい。感じのいい、宿屋でした」
「あの村は、中に入る人間を選ぶのです。大抵は三日と持たずに出て行きます。あの村に住んでいるのは、村に選ばれた人ばかりなのですよ」
巡回士の仕事を快諾した私は、早速バッグ二つに荷物をまとめてネゴノキ村にやってきました。村の入り口には門のように二本の大きなモミの木が立ち、その木の間からぶら下がった蔓に白い花が咲いています。
村に入ってすぐに、後ろから来た自転車に追い抜かれました。家までの道を尋ねようと呼びかけて、驚きました。自転車に乗っていたのは、翼のある男の人だったのです。ハンチング帽をかぶり、たたんだ白い翼で背中を覆ったその人は、まだ若い男の人でした。
私の持った地図を見ながら、彼はていねいに道を教えてくれました。
「あの、どうして自転車に乗ってるのですか? 羽があるのに」
「どうして羽があると、自転車に乗っちゃいけないんだ?」
「飛べばいいじゃないですか」
「僕は飛べない」
「だって、じゃあ、何のための翼ですか?」
「みんな僕に同じことを言うね。どうして翼があったら、飛ばなきゃいけないんだろう。これは飛ばなくなって、役に立つんだよ。ほら、こんな風に」
彼は笑いながら、わずかに翼を開いてみせました。その白い羽に埋もれるようにして、三歳ほどの男の子が眠っていました。彼にとって翼とは、おんぶ紐代わりだったのです。
「僕は翼男。後ろにくっついているのは、タマゴだ」
「タマゴ。それ名前ですか?」
「そうだ。まだ何者になるともわからないから。ああ、それと、この村に入ってきた人に名前をつけるのは、僕の仕事なんだ。君新しい人だね」
「名前って、今までの名前じゃなくて、新しいものをですか?」
「そうだ」
彼は私を見ながらしばらく考えていました。翼の中では相変わらずタマゴちゃんが、すうすうと気持ちよさそうに眠っています。
「ミモザ」
これだ、というように、彼は顔を輝かせました。
「髪が黄色くって、ちりちりに広がってるから」
私の髪は金髪で、ちりちりじゃなくてゆったりと波打ってるのですけど。そう言い返したかったのに、気がつくと彼は自転車を発進させていて、目の前を白い羽がファサファサと通り過ぎていきました。
そんなわけで、今日から私はミモザです。
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